「七尾で友だちを作れたらいいな。」と思ってもらえたら。。。

七尾に住んで、24年になります。最初に越してきたのは17の時、穴水町の実家を売りに出されて行くところがなく、父親の七尾高時代の恩師(守きよの先生)の旧家が空いていたので神明町に来ました。穴水高校在学中だったため、退学か在学かの選択に迫られ苦悩したのが懐かしいです。それでもまもなく富山大学に進学し、6年間富山市で過ごします。卒業間際に富山市で統合失調症を発症し、七尾市の自宅に搬送され、大学からは形式ばかりの卒業証書と教員免許状を受け取ります。

僕にとって、七尾という街は敗れた末に、やむなく訪れた場所というイメージでした。それから長い闘病期に入る訳ですが、一応形式的でも教員免許などを持っていたものですから、教育職や教育福祉職に就く機会にも恵まれました。しかし、病気による脆弱性からいずれも長続きせず、社会生活への不適応を感じるようになりました。その時期からでしょうか、経済的に苦しくなり、金融機関がやたらとカードの発行を勧めてきて、結果借金が雪だるま式に膨らんでいきました。生きづらさが全面に出てきて、人生にあまり良いイメージを持てないでいました。と同時に、なんとかこの感じの悪い七尾という街を早く出ていけないかと思っていました。

人生が好転し始めたのは、昨年のことです。短い間ですが金沢の盲学校で働く機会に恵まれ、借金を大幅に返済することができました。病気で退職するわけですが、少しばかりの資金をもとに、次の人生を構築するための挑戦をしようと、以前から取り組んでいた音楽活動の集大成となるアルバムを制作したのです。これが興業的に成功し、全国のメディア(テレビ・新聞・ラジオ・雑誌等)に取り上げられました。この事業を拡大していこうとする中で、ふと自分の足元を見たときに、ふと思ったことがあったのです。

これまでの人生を振り返って、だれかと喜びや痛みを分かち合った経験というものがあまりに少ないんじゃないかと。いつも一人で苦しんで生きてきたんじゃないかと。こういう孤独というか寂しさみたいなものを受け止めた時から、新しい人生が拓けるんじゃないか、今そんな気がしています。今回のサロンについては、打算的なところは、一切なくていいと思っています。まずは何かを与えたり、共有することができたら、と思っています。ややもすると学術的で敷居が高く思われがちな音楽文化を、もっと身近に感じてもらえたらと思います。

 音楽談議 楽しむサロンに 自宅書斎、きょうから開放 七尾の権谷さん
   七尾市万行町で作詞や国内外ミュージシャンらとCD共作などの活動に励む権谷達哉さん(47)が、自身の経験を基に音楽制作のノウハウを伝えたり、気軽に音楽談議を楽しんだりできるように二十八日から自宅書斎を「権谷さんちのサロン」として開放する。無料で、要予約。

 権谷さんは大学時代に発症した統合失調症の影響で、睡眠が不安定など身体の不調が残る。障害の影響で定職は難しいが、期間限定の仕事に随時就きながら、障害者年金などを活動資金にして主に作詞を通じた音楽制作を続けている。

 今年二月には過去にエルトン・ジョンさんやレッド・ツェッペリンなどに関わった英国音楽プロデューサーのスチュアート・エップスさんが作曲と演奏を手掛けたコラボCD製作も実現。そうした海外アーティストらとの交流経験を踏まえ、CD共作のノウハウはもちろん、気軽に音楽などを語り合ったりする場をつくりたいと、サロン開設を決意した。

 権谷さんは普段、三年前に八十歳で他界した父守人(もりと)さんの書斎でパソコンなどを使って音楽制作する。このスペースをサロン用として活用し、これまでの共作CDなども書棚に並べ、これらの音源も話題にしたい考え。軌道に乗れば、利用者とCD制作なども視野に入れる。

 守人さんが残した歴史書など蔵書も多く、サロン利用者との話題づくりのきっかけになればとの思いもある。幅広い年代の人に利用を呼びかけたい方針で、場合によっては権谷さんの活動を長年支えてきた母の美子(よしこ)さん(78)も同席することを想定。美子さんの誕生日に開設日を合わせた。

 権谷さんは「自分なりに作詞やCD共作を続けてきたが、せっかく身に付けた海外アーティストとの交流方法、CD共作のノウハウを多くの人に伝え活動の輪を広げたい。まず多くの人たちと気軽に話す機会をつくれれば」と話す。

 サロンは万行町一八の九の一七、時間は平日が正午〜午後七時、土日は正午〜午後五時。(問)権谷さん0767(52)0935(室木泰彦)
   北陸中日新聞 2021年9月28日掲載

​ON SALE NOW

FMかほくで番組パーソナリティーを務め海外ミュージシャンらと交流する七尾市万行町の権谷達哉さん(47)が、自身が作詞し、英国の音楽プロデューサーのスチュアート・エップスさんが作曲し歌うCDアルバム「THE JOURNEY(ジャーニー)」を発売した。憧れのアーティストとの共作がかなった権谷さんは「尊敬する恩師のような方と作った感動を、世界中の多くの人と共有できれば」と話している。 (室木泰彦)

 スチュアートさんは音楽スタジオのエンジニアとして活躍し、レッド・ツェッペリンやエルトン・ジョンさん、オアシス、ジョージ・ハリスンさんなど著名アーティストの作品制作に関わった。権谷さんは五年ほど前、英国の女性バンドの来日公演に協力し、その過程でスチュアートさんと知り合った。単発企画で権谷さんの詞に曲をつける仕事でやりとりするうち、権谷さんがアルバム一枚分の共作を提案。快諾され実現したという。

 歌詞は愛や家族への思い、人生という旅など。三年前に他界した父への鎮魂歌のほか、スチュアートさんの妻への愛をイメージした作品、昨夏に体調を崩し入院先の病床で完成させた詞など多彩。スチュアートさんの曲は英国風の哀愁や情感にあふれ、エルトン・ジョンさんの名曲を想起させるバラード、ブルージーなギターが印象的なロック、日本の歌謡曲に通じるポップ曲など、タイトル通り「音の旅」を堪能できる。権谷さんの知人などの協力で楽しい雰囲気のジャケットに仕上がった。

 コロナ禍で来日できないスチュアートさんから「君と仕事ができ幸せな時間を過ごせた」などのメッセージが届いたという権谷さん。「伝説的プロデューサーが自分の詞に曲をつけて歌ってくれる。信じられない夢のような出来事で、私にとって真新しい洋楽の薫りがする」と語る。ボーナス曲含め十一曲入りCDは税込み三千円。購入など問い合わせは権谷さん=電0767(52)0935=へ。 
​北陸中日新聞 2021年2月27日掲載

 FMかほくで番組パーソナリティーを務める七尾市万行町の音楽プロデューサー、権谷達哉さん(47)が、少年時代を過ごした穴水町の観光名所「ボラ待ちやぐら」をモチーフにした楽曲「君待ちやぐら」を作った。故郷の風景と初恋をテーマに郷愁を誘う一曲。能越ケーブルネットの穴水エリアで放送される権谷さんの特別番組で、エンディングテーマとして流れている。 (森本尚平)

 権谷さんは、小学校から高校二年までを同町前波で過ごした。「町の風景が、物の考え方など自分のバックボーンにある」。故郷の思い出や海沿いの景色をテーマにした楽曲の制作を以前から考えており、特別番組の放送をきっかけに作詞。ともにFMかほくパーソナリティーを務め、親交のあるシンガー・ソングライターで東京電機大教授の渡利(わたり)久規さん(60)=埼玉県久喜市在住=に作曲を依頼した。

 歌は一九七〇年代のフォーク調で、権谷さんがつづり渡利さんがアレンジした詞が昔懐かしい海辺の風景を思い起こさせる一曲に仕上がった。権谷さんは「曲を聴いて浮かんでくる絵は人それぞれ。故郷だったり、初恋だったり。引っ掛かるところは人によって違うと思うので、そこで感じるものを大事にしてほしい」と話す。

 特別番組は二十日までワイド枠の「穴水スペシャル」で一日三回放送。曲は、権谷さんのホームページ「権谷達哉のサムシングフォーユー」でも公開中。購入もでき、CDの販売も受け付ける。二曲入り五百円。(問)権谷さん0767(52)0935

​北陸中日新聞 2021年6月21日掲載

石川県七尾市万行町の権谷(ごんたに)達哉さん(47)は国内外のミュージシャンとCDの共作を続ける。作詞に打ち込み、共作CDは二十枚を超える。一方で、大学時代に発症した統合失調症の影響で、睡眠が不安定で身体の不調が続く。精神障害を公にすることにためらいがあったが、同じように困難を抱える人の励みになればと、さらけ出す覚悟を決めた。(室木泰彦)

 権谷さんはFMかほく(同県かほく市)で通算一年半余り番組を担当したほか、CDの自費制作、外国人アーティストや親交のある演奏者による公演のPR、企画などにも関わる。

 月七万円の障害年金で母と暮らし、障害者雇用の募集があると期間限定で役所、施設などで働く。そんな中で、音楽活動をするのは「何としてもカムバック」との反骨心があるから。

 発症は富山大時代。卓球のサークル活動をし、大会運営もしていたが、卒業間近、運営を巡り人間関係がぎくしゃくした。極度のストレスと緊張が二週間続き精神的に破綻。統合失調症と診断された。

 三年ほど入退院を繰り返し、気分の浮き沈みが激しいそううつ状態が続いた。ごく親しい友人を除き仲間とは疎遠に。障害者雇用で採用された役所では、周囲の対応に冷たさを感じた。月一回の通院で症状が徐々に落ち着くのと同時に音楽制作を活発化した。

 今年二月、憧れの英国音楽プロデューサーのスチュアート・エップス氏との共作CD制作が実現。音楽制作のイロハを教えてくれたソニーミュージックグループOBの青木美高(よしたか)さん(69)=名古屋市=のおかげだという。「温かい導きでいろんなアーティストとつながった」。スチュアート氏が近年、後進育成に力を入れ、コロナ禍のオンライン交流で権谷さんに時間を割けたのもプラスに働いた。

 最近、心境に変化が。「反骨心だけでは限界がある。発症時の人間関係は破綻したまま。もう一度仲良くなる可能性を残すためにも少しでもわだかまりをなくせれば」。一方で、障害を明かすことでどう見られるか不安も大きい。それでも「障害を含めた自分の作品がどう評価されるのか興味もある」と新境地に挑む。

いつか分かり合える 信じ続けて「愛と絆テーマに詞」

 「いつか分かり合える そう信じ続けていたよ 笑顔に満ちた世界を/ここに対峙している 僕たちの今が 全ての答えなんだ/今僕たちは心から知る 君の全ての痛みを 全てを分かち合っているんだ…」

 権谷さんの作品「愛に満ちた世界」(抜粋)だ。権谷さんは、大事な人への愛、困難を乗り越える絆などをテーマとしている。

 代表作はスチュアート・エップス氏との共作「THE JOURNEY(ジャーニー)」。権谷さん作詞の十曲にスチュアート氏が曲を付けた。三年前に死去した父への思い、体調を崩し病床で感じた自身の人生などを描いた。六月には、幼少期を過ごした石川県穴水町の「ボラ待ちやぐら」を題材に楽曲「君待ちやぐら」を発売した。問い合わせは権谷さん=電0767(52)0935=へ。

​北陸中日新聞 2021年7月19日掲載

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「光ともす一曲作りたい」

精神障害ある石川の作詞家

世界の音楽家とコラボ

 精神障害に苦しみながら歌詞を紡ぎ続ける作詞家が石川県七尾市にいる。47歳の権谷達哉さん。作詞を始めた頃は「人間は分かり合えない」「欲望はむなしい」といった後ろ向きな言葉が目立ったが、他の音楽家と交流を深めるうち「愛」や「幸福」を表現できるように。「今後も人や社会に光をともすような一曲を作りたい」と意気込む。

 兵庫県尼崎市生まれ。決して裕福とはいえない家庭で育った。「家族はいつもピリピリしていた」と振り返る。自宅が売りに出され、勉強に集中できない時期も。それでも国立大に無事合格し、入学後は卓球部で活動するなど充実した日々を送っていた。

 ところが、大会運営のトラブルをきっかけに人間関係のストレスに見舞われ、不眠に。統合失調症を発症し、1998年から3年間、入退院を繰り返した。元々作家志望だったこともあり、社会への不満を言葉にしてパソコンに打ち込むうち、次第に気持ちが晴れるようになった。

 心身不調が続き外出もままならない権谷さんにとって、音楽活動は世界とつながる貴重な手段となった。音楽家向けの会員制交流サイト(SNS)に曲を投稿し始めると「共感した」「ぜひ組みたい」と連絡を受けるように。これまで10カ国を超える音楽家とコラボレーションし、約180曲に歌詞を乗せてきた。

 作詞を始めた当初は悲観的な表現が目立ったが、他の音楽家と交流を重ねる中で「人の心に届いてこそ意味がある」と気付いた。「ただ君と一緒にいたい」「君のためにできることを見つけさせてくれ」―。生きづらさを訴えるだけではなく、より広く共感される身近な愛や幸せを表現したいと思うようになった。

 今年2月には、憧れだった英国音楽プロデューサーのスチュアート・エップス氏との共作も実現。完成したアルバム「The Journey」は各種音楽サービスで配信中。権谷さんは「より広く深く届くような曲を作りたい」と話している。(共同)

【写真説明】アルバム「The Journey」を手にする作詞家の権谷さん

【写真説明】アルバム「The Journey」の表面(左)と裏面

​2021年8月5日 共同通信より全国配信

今年は英国の英雄との音楽アルバムを完成することから始まった。このアルバムが全国的に広まったこともそうだが、自身の精神障害のことを公然とメディアに発表し、自分の人生、社会における立ち位置のようなものを再確認することになった。自分自身の生き方の枷になっていた人や社会に対する反骨心から解放されたような気がしている。一つやり遂げた・成し遂げたという自信からようやく前に踏み込めたような気がしている。叶うなら今の自分の姿を、父親が生きているときに見てもらって、褒めてほしかったと思う。今、僕は父親の書斎を活用して地域の皆様のためにサロンとして開放する準備をしている。そうして、自己実現や爪痕としての記録を残すのではなく、もっと柔らかい人や社会との交流の方法として音楽と添うていこうと思い始めた。市場原理とはかけ離れた価値や意味がここで見出だせることに希望を乗せて。